JCALについて
全国カレンダー出版協同組合連合会(以下JCAL)は、
カレンダーの出版、印刷業を資格事業とする全国の事業協同組合で構成されている組織です。
昭和34年(1959年)任意団体として、全国力レンダ一製造組合結成。
昭和39年(1964年)3月28日認可団体として、全国力レンダ一出版協同組合連合会(JCAL)設立。
●会員
- 東京カレンダー出版協同組合
- 国際カレンダー出版協同組合
- 京都カレンダー出版協同組合
- 大阪カレンダー出版協同組合
- 会長(代表理事)杉本庄吾
●JCALマークとイニシャル
JCAL会員に所属している各社製品の表紙には、JCALマークが印されており、これらの製品はJCALが編纂している正確な暦の情報を使用しています。
また、商品番号の前にはアルファベット2文字の製品識別イニシャルが印されています。
DI、HB、HS、IC、KS、MH、MM、MS、NA、NC、ND、NF、NK、NP、PR、SB、SD、SG、SP、SR、SS、TD、YG、YK、KC
※これらに類似した製品識別イニシャルや、JCALマークが印されていない類似商品にご注意下さい。
カレンダーの歴史
神宮司庁が明治16 年(1883年)に1 枚刷り略暦の製造を許可しました。それまで宣伝用に恵比寿大黒や美人画の引札(今でいうチラシ)を出していた商店は早速、略暦を刷リ込んで配るようになりました。これがカレンダーの始まりとされています。
明治30年代になると横浜や神戸港の周辺にある外国貿易商社が使用している卓上日記からヒン卜を得て、わが国で初めて日表(日めくり)が作られるようになりました。
大正時代までは引札と1枚暦が中心でしたが、昭和に入ってようやく日表の生産が軌道に乗り、昭和6年(1931年)に大阪カレンダー製造組合が設立されます。
昭和15年(1940年)には東京や京都の業者も参加して全国力レンダ一製造組合が発足しました。日中戦争<昭和12年(1937年)>以前は台紙付小日表や1枚暦が中心でしたが、この戦争を契機に生産は中止を余儀なくされてしまいます。
昭和20年(1945年)第二次世界大戦終了とともに東京、大阪でカレンダ一製造が再開。当初は小日表、台紙、年表などが中心でしたが、昭和24年(1949年)には早くも東京メーカーがカラー写真の月表(1ページに1か月もしくは2か月が掲載されているもの)を発売、続いて大阪、京都メーカーがこれに追従し、企業PR 時代に対応する1年365 日の販促品として需要を伸ばし、今日に至っています。
名入れカレンダーの魅力
名入れカレンダーは引札暦に始まる日本の伝統的な広告媒体の一つです。
昭和の高度成長期には、女優や風景ものの名入れカレンダーがポスター代わりとして部屋を彩り、固定電話の側の柱には、出前や配達の依頼電話をするための店名と電話番号が記載された台紙が付いた日めくりが多くの家庭にありました。
その後、平成、令和時代となり広告媒体も変わり、テレビ広告費をネット広告費が上回る時代になりました。
しかし、人間がデジタルではなくアナログであるのは昔も今も変わりません。
毎年年末に、お世話になった方々に感謝の思いを伝えることと新しい年が良い年になることを共に祈る。また、今年も事業が成長したことを実感する。そのために名入れカレンダーをお届けする。その日本人らしい文化は未来永劫続いていくことでしょう。
カレンダーの配布は感謝の気持ちと自社の事業の発展を願う気持ちの表現方法の一つではないでしょうか。この江戸時代からつづく文化を次世代に継承していきましょう。